ダンス週間
国際ダンスセレクション
2026年2月7日(土)19:00〜
2026年2月8日(日)15:00〜
踊る。秋田賞
- 審査委員長:麿赤兒
- 審 査 員:石井達朗
- 審 査 員:山川三太
◎シンガポール cont・actコンテンポラリーダンスフェスティバル
髙 瑞貴(日本)
◎ラオス ファンメコン・ダンスフェスティバル
パク・スヨル(韓国)
トーマス・ヌーン(スペイン)
アデル・ゴー(シンガポール)
髙瑞瑞貴(日本)
井田亜彩実 & ソ・ジョンビン(日本/韓国)
小松﨑 結友/三木 麻衣(日本)
植野晴菜(日本)
イム・ヘウォン(韓国)
藤井香(日本)
◎香港ダンスエクスチェンジ
髙瑞貴(日本)
トーマス・ヌーン(スペイン)
◎韓国 インターナショナル・パフォーミングアーツ・プロジェクト(IPAP)
オレ・カムチャンラ(ラオス)
パク・スヨル(韓国)
トーマス・ヌーン(スペイン)
ジャスティン・リー(香港)
井田亜彩実&ソ・ジョンビン(日本/韓国)
藤井香(日本)
◎韓国 ニュー・ダンス・フォー・アジア(NDA)
ヌートナファ・ソイダラ(ラオス)
井田亜彩実&ソ・ジョンビン(日本/韓国)
上演された14作品のうち、12作品が海外フェスティバルに招聘されたというのは、今までの国内の国際ダンスフェスティバルの歴史を見てもあり得ないほどの快挙です。
『踊る。秋田』に参加すれば世界に飛躍できるという、文字通り「秋田を世界の文化交差点にする」という目標が達成された瞬間でした。
観客もゲストも出演者も、参加したすべての人が「素晴らしいフェスティバルだ」と絶賛してくれたフェスティバルになりました。

振付・出演/植野 晴菜
<振付家コメント>
やさしさと痛みが沈む記憶のふちにたち、“いまを生きる”ということを問い直す。
<芸術監督コメント>
いわゆる「舞踏」のジャンルに属する作品であるが、とても素直に踊れていることに好感する。舞踏家を標榜する多くの踊り手は、「舞踏らしさ」にこだわり、舞踏の表層的なスタイルを模倣しようとする。みんな土方巽やその後に続く舞踏家の背中を見ているのである。しかし、舞踏にとって最も大事なことは土方巽の背中を見ることではなく、土方が見つめていた物をこそ見ることなのだ。今の植野にそれが出来ているかどうかは分からないが、少なくとも形を真似るところからは抜け出せているようだ。

振付/イム・ヘウォン
構成/キム・ジサン
出演/キム・ヘユン、カン・スンヒョン、イム・ヘウォン
<振付家コメント>
それは、葦のような人間の話です。四方八方から吹き付ける風に、葦はためらいもなく舞い、漂い、ぶつかり合い、流されるままに動きます。私たちは自分の声で話していると信じていますが、もしかしたら、私たちはただ吹き荒れる風の音を反響させているだけなのかもしれません。
<芸術監督コメント>
私たちは情報の渦の中にいる。沢山の情報が洪水の様に押し寄せ、私たちの価値観を激しく揺さぶる。しかも、その情報の中の多くのものは事実に基づかない不確かなものか、あるいはまったくのフェイク情報なのである。その渦の中で、私たちはどうやって正気を保つことが出来るのか。いや、もともと「正気」などという状態は果たして存在するだのろうか。

振付・出演/オレ・カムンチャラ
音楽/デトレネ
<振付家コメント>
振付家が西洋と東洋、ストリートの動きと古典芸術の動きを借用しながら対話する、文化の交差点に立つソロ。内側には親密な空間、外側には探求の場。この「円」は、ダンサーの身振りに見出されるある種の普遍性と、新たなメカニズムを探求するよう駆り立てる絶え間ない動きを想起させます。
<芸術監督コメント>
オレが舞台に登場した時に、その自然で、しかも揺るぎのない自信に裏付けされた歩みに眼を奪われた。オレはラオスで生まれ、フランスで育ったラオス系フランス人である。その彼がラオスとタイで学んだ古典舞踊と自身の原点であるヒップホップとの融合を図ることで、まさに「西洋と東洋の文化交差点に立つソロ」を創り上げたのである。

振付:キム・ヒジュン
作曲:パク・ジュンヨン
<振付家コメント>
ダンスを通して身体が消耗していく過程を描きながら、身体に宿るダンスが「現前する身体」を顕わにするための関係性として機能していることを示す。最終的には「存在するために消耗している」という、身体とダンス
の相互的な関係に向き合おうとする。
<芸術監督コメント>
「 Épuiser」はフランス語で「使い切る」というような意味合いの言葉である。ヒジュンは自分の体力を「使い切る」ように踊る。まさに消耗するために踊っているのである。やがて彼の衣服から無数のコインがこぼれ落ち、舞台にばら撒かれていく。そのコインがステージにぶつかる音が彼の悲鳴のようにも、涙がこぼれ落ちる音にも聞こえる。

振付・出演/小林 萌
Choreography and Dancer: Moe Kobayashi
<振付家コメント>
境界が曖昧になって行く現代において生身の体の存在について問う。
<芸術監督コメント>
最初にエントリー画像を観たとき、彼女の身体の切れに驚いた。この鋭い動き、凛とした腰の落とし方はダンサーのそれではない。その後、プロフィールを見て納得した。そこには「5歳から始めた空手で黒帯を持ち、武道と舞踊をルーツにもつ」と書かれていたのだ。なるほど、それなら納得できる。その動きに強靭な想像力が入り込んだとき、こんな作品が誕生する。これから先が楽しみなダンサーである。

振付/ジャスティン・リー
出演/フェリックス・チュン
<振付家コメント>
<私の身体は私のすべてを体現しているのか?>
身体は空っぽの殻のようで、そこに宿る魂とはわずかにずれています。孤独と変容が絡み合い、脆さが静かな強さを露わにしていく。それは、真の糸で織り成された繊細なタペストリーのようです。
<芸術監督コメント>
ジャスティンもまた二度目の参加である。私が彼女の作品を初めて観たのは2020年1月の香港。催涙弾の煙と匂いが立ちこめる街中で、機動隊と市民がぶつかり合うという異常な緊張状態の中で上演された彼女の作品は、まさに危機感溢れるものだった。今回の作品は、そんな興奮状態からは一歩身を引き、自分自身と真摯に向きあう作品となっている。あれから6年の歳月が流れたのである。

振付・出演:小松﨑 結友/三木 麻衣
<振付家コメント>
「カフネー」とはポルトガル語で、家族や恋人、ペットなど、愛するものを撫でる、髪にそっと指を通すしぐさのこと。それは、互いを感じる、言語的なコミュニケーションを越えた、すてきな「ダンス」だと私は思います。
<芸術監督コメント>
まさに「カフネー」な作品である。このようなデュオ作品は互いに密接に絡み合って踊るコンタクトムーブメントでスキルを見せる方向に向かうか、あるいは叙情的にベッタリとした私的表現になってしまうかのどちらかが多いのだが、二人はギリギリのところで互いの距離をとり、そしてまた自身の感情からもは距離をとることに成功している。

振付/パク・スヨル
出演/ソ・ジョンビン、ペク・チャンヤン、ペク・ソンファ、ナム・ヒギョン
<振付家コメント>
もし身体がガラスでできていたなら、何も隠せないだろう。
<芸術監督コメント>
パク・スヨルは2023年に続き二度目の参加である。スヨルは群舞の振付がとても良い。バラバラに踊っていたダンサーがスッとユニゾンに入ったかと思うと、それが型になる前にまたスッとズレていく。今回の作品はジェンダーに焦点を当てた意欲作で、マスクや便器の使い方など意表を突いた作品になっている。

振付・出演/トーマス・ヌーン
<振付家コメント>
ブラジル人アーティスト、アンドレ・メロの驚異的な人形を称え、無生物に命を吹き込みたいという私たちの欲求を巧みに操る「アフター・ザ・パーティー」は、遊び心と詩情にあふれた、私たちの二面性と内なる対話を描いた作品です。
<芸術監督コメント>
トーマスは人形を操りながら踊っているのではない。彼は自分自身と対話し、自分自身に見つめられているのだ。お前は誰だ。お前はいったい何者なんだ。彼は彼自身からそのように問いかけられている。その答えは出るのだろうか。

振付・出演/アデル・ゴー(シンガポール)、クォン・ヒョク (韓国)
<振付家コメント>
時間の中の時間−−−。パンデミックの中で、私たちは時間の間に生きています。
そして時間の錯覚−−−。このハイブリッド作品は、異なるタイムゾーンに住む二人によるZoomコラボレーションです。
<芸術監督コメント>
アデルも二度目の参加である。この作品は二人のダンサーがシンガポールと韓国という1時間の時差のある国にいながら、Zoomを用いて共同制作したものである。制作が終了する間際まで、二人は実際に会ったことがないという。パンデミックはこんな不思議な創作手法をも生み出したのである。

振付・出演/髙 瑞貴
<振付家コメント>
全宇宙共通ではない、「至極、主観的な時間」への突入は、時に秘密的な嗜好や野性に似た興奮を携え、身体が概念の外に「抜け出す」瞬間にやってくる。この作品は「抜け出す」という行動/目的を持って想像空間へ投げ入れられた一人の身体が、希望の表出まで試みる挑戦的ダンスである。
<芸術監督コメント>
高のダンスはとても硬い。それは「身体が硬い」というような意味ではなく、ダンスの質が硬いのである。この硬さがどこから来るのか不思議だったのだが、振付家コメントを読むとよく分かるように、彼女の踊りはかなり硬い哲学的概念に支えられているのである。「理念によってコントロールされる身体」という哲学は極めて西洋的なものであり、近代的なものだ。それがこれから先、吉と出るか凶と出るか。彼女はギリギリの所に立っている。

振付・出演:ヌートナファ・ソイダラ
<振付家コメント>
タイトルの「90」は私が産まれた1990年を、そして「now」は私の現在を表しています。この作品は私の私の個人的な旅の物語であり、同時にラオスの伝統舞踊とコンテンポラリー・ダンスを融合させた文化的変化を反映しています。
<芸術監督コメント>
ヌートの踊りはいつも哀しさを感じさせる。ラオスの伝統舞踊に基づいた手の動きが美しければ美しいほど、それが失われていく哀しさを想起させるのだ。ラオスには美しい自然がある。しかし、そこを訪れてみれば目につくのは海外ツーリスト達の姿ばかりだ。ラオスの伝統文化もやがてそのように消費されていくのだろうという思いが、哀しさを誘うのだ。

振付/藤井 香
出演/江積志織、海保文江、佐々木春呼、松元日奈子、藤井香
<振付家コメント>
欲をもって欲を制すことを躊躇わず、クレイジーに侵食される世界を12分間の中で体感することを試みます。「欲望の誕生」、「取る人、取られる人」、「欲望渦巻きまくる世界」という流れで創作しています。
<芸術監督コメント>
5人のダンサーによる群舞作品だが、振付が実にバカバカしい。ふざけているのかと思いつつ観ていると、そのうち彼女らの振りが極めて日本的なリズムと所作に基づいていることに気づく。そしていつの間にかそのリズムに乗ってしまい、彼女らのバカバカしさに共感している自分がいる。

振付・出演/井田亜彩実/ソ・ジョンビン
<芸術監督コメント>
井田は日本人ダンサーの中では異色の存在である。他のどのダンサーと組んでも、彼女だけが異彩を放つ。それは彼女の身体的強度、類まれな想像力と集中力によるものである。井田と釣り合うダンサーはいないものかと常々考えていたのだが、日本人ダンサーの中には見当たらない。そう思っていた矢先に天才ダンサー、ソ・ジョンビンが現れた。ジョンビンの身体的強度と美しさ、想像力と集中力の異常な強さは井田の唯一無二の個性に匹敵する存在である。そう思って二人のコラボ企画を提案した。二人とも、互いの公演動画を見て二つ返事で企画に乗ってくれ、昨年12月22日から秋田に来て滞在制作を行った。さて、この二人の出会いがどんな作品を生むのか。皆さんも私と一緒に、二人の作品が誕生する瞬間に立ち会っていただきたい。